筆者は勉強として、よく「Newspicks」の落合陽一の出演する番組を見てたり落合陽一の著書を少しずつ読んだりしている。
もうね、頭が良すぎて分からないことも多いんだけど、様々なジャンルやテーマの時に落合陽一含め色んな人が提言しているのが
「小さなコミュニティ、生活圏が多く出来るのでは無いか」
という理論。
キングコングの西野とかも似たようなこと言ってる。
良い悪いじゃ無くて今後のあらゆるビジネス、アーティストには特に重くのしかかってくる話なんだけども。
それが最近政治関係でべらぼうに活発だなあとふと気付いたので。
多分読んでもあんまり面白くないし、ゲームもパチスロも関係ないかも知れない。
でも個人的に書きたくなったのでコンテンツ論の一環として書いてみる。
今日はそんなお話。
あ、ゲーム配信とかツイキャスにはだいぶ縁が深い、かも。
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小さなコミュニティの隆盛とは
これは色んな話を聞いた上で個人的にまとめたような話。
かつて、アーティストもミュージシャンも1対多数の関係性だったわけです。
メジャーシーンに出ることが飯を食えると言うこと。
それは本にしてもそうだし、ゲーム実況とかもそう。
一部の売れっ子とその他の差が大きかった時代。
だけど今は多分そうじゃ無くなってる。
例えば料理店。
チェーンにしても個人店にしても、今時味がまずくて食えたもんじゃ無い、という店はかなり少ないと思う。
それなりにみんな大分美味しいはず。
だったら誰にお金を落とすか、という観点で店を選ぶ人が出てくる。
ちょうどここ一ヶ月は、コロナの影響で飲食関係が潰れる危機に瀕している。
こういうときにテイクアウトやら限定営業やらでなんとか事業を繋ぎたいとき、頼りになるのは味やクオリティというよりもファンの存在だ。
ファンになる理由は様々で、もちろん味の場合もあるし店の雰囲気かも知れない。
変わったメニューの虜かも知れないし、通ってて仲が良いからかもしれない。
そしてこういった流れの先に、
「小さな経済圏」
というものが生まれる。
100人のファンが月に1000円ずつ何かしらの手段でお金を落とせば、月10万円もの収入になる。
月1000円って言ったら実はそれほど高くない。
飲食なら1、2回客として訪れたら達成される。
電子書籍なら1冊でもいけるかもしれない。
配信の投げ銭なら週に1回300円も投げてたら達成だ。
こうやって小さなコミュニティ、ファンを集めて応援するされるの関係を構築していく。
それが可能になったのはSNS等双方向に繋がれる手段が多数増えたこと、情報量が増えクオリティに差が出来にくくなったこと、同時に情報よりも個人的な体験に価値を見出されるようになったことなど、理由は色々思いつく。
例えば、筆者の尊敬するブログ運営者に「イカボールさん」と言う方が居る。
この方はつい最近ツイキャスによる配信を始めたが、すでに149人ものサポーターが付いている。
人徳によるものだ。僕とは違ういい人なんだろう。
もしこのサポーターがそれぞれ月1000円ずつ投げ銭をした場合、単純計算ではあるが月当り149000円もの収入となる。
このように、誰でも小さなコミュニティを作れる動きが広がっている。
顕著なのはクリエイターやアーティストだ。
CDよりもグッズの売り上げとライブで生計を立てるバンドは増えてきている。
配信もバンドも、ただ音源や映像で勝負するのでは無くライブという体験やコメントを拾ってトークするという個人的な体験による価値の創出だ。
政治関係のツイッターが凄い
ここまでは分かりやすく経済の話をしたが、稼げるかどうかよりも自己顕示欲と承認欲求による変化の方が個人的には大きいとも思っている。
Facebookの「いいね」の応酬は、その最古たるコミュニティかも知れない。
それぞれいいねを押すことで、押された側には承認欲求が満たされ、お換えしてしていいねを押すというサイクルだ。
投稿自体のクオリティと正比例するわけでは無いのが分かると思う。
ツイッターで言えばフォロワー数やバズりかもしれない。
そしてそのツイッターで、ここ最近政治関係しかつぶやかないアカウントが多数見られる。
ツイッターを触っている方なら実感しているだろう。
興味が湧いたので片っ端からプロフィールを見てみると、特徴として
・このままではいけないと思った
・たぶん40歳以上が多い
・固定ツイートはだいだいバズったもの
というものが見られた。
ここから筆者はある予測を立てたのだ。
政治的主張よりも承認欲求に毒されている説
ミレニアム世代は、SNSの存在が当然となっている。
いいねだけで図れないものもあるし、フォロワーが少なくてものんびり自分のペースで運用できる確立は、若い方が高いのでは無いかと。
その点、現実の身の回りでしか承認欲求を得てこなかった世代にとってSNSは刺激が強いのかも知れない。
自分の声が何万人にも届く(数字ではそう見える)状況が一度でも手に入ったら、それは人を狂わせる可能性が十分にある。
そして現在のツイッターは、成治に関して過激な賛成や反対をすればすぐリアクションが来る状況となっている。
成治発言ばかりのアカウントはフォローもフォロワーも似たような人ばかり。
思想が似ている人をフィルタリングしているからリアクションも早く、フォロワーもつきやすい。
だから身内の人数が膨大となり、更に同思想の支持を得ることが出来る。
SNS上の数字だけで言えば、成功が約束された世界なのだ。
金にはならないが興味深い
筆者は、もともとアマチュアでスポーツを続けていた。
スポンサーやファンも多数居てくれたが、それだけで飯を食うことは出来なかった環境だ。
そんな中で様々な論説を聞き、納得する部分があったのが冒頭の論理だ。
確かに、最近需要が上がってきているものとしてあげられる
・ゲーム配信
・有料note
・月額課金型ファンクラブ
といったものは、一定数のファンさえいれば経済として成り立つ。
更に需要が上がれば第三者により広告費などが落とされるのだろうが、それが無くても成り立つ流れ。
それが「小さな経済圏」であり、その発生源が「小さなコミュニティ」だ。
筆者はこれを元々、
「ちょっとだけ凄い人でも食べていける」
という風に捉えていた。
ただ、人物像もクオリティも何も無くてもコミュニティだけは発展するということが、今回のコロナ騒動に関する政治ツイートによって発見できた。
この一連の出来事、クリエイターポジションがいない。
強いて言うなら現状の政権になるだろうか。
賛成も反対も、ひたすらに身内でツイートを褒め合う世界。
それは閉鎖的で、政治の議論には全く向かないものだ。
だが、これだけコミュニティが広がる可能性というものを筆者は発見した。
それがあまりにも興味深かった。
というだけの話ではある。
あー、私も配信したら10人ぐらい見に来てくれないか。
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