Youtube広告で流れてきた、ミッキー17の予告を見て「こいつは観に行かないとダメだ」と直感が告げていたので、公開を楽しみに待ち続けていました。そんでようやく見て来れた!しかもIMAXで!!
なんだが興行収入があんまり芳しくない、はっきり言ってしまえばそんなに売れてないっぽいんですよねえ・・・
公開直後なんですが席はガラガラでした、あんまり映画を見に行く人が多くない地域に住んでいる気はしているんですがそれにしても、という感じ。
世界的にも黒字化できるか怪しいぐらいらしく、ただこれが「ミッキー17」の不発なのか、はたまた映画全体の落ち込みの一端なのかは難しいところ。今後公開されるミッションインポッシブルとかマイクラとかの数字が気になりますねえ。。。とはいえマイクラは子供達がこぞって観たい!とファミリーでの来客が見込めるからすんごい数字になりそうですけども。
ちなみに「ミッキー17」の売上に関するソースはこちらからどうぞ。
とはいえですね、単純にこの映画を観て「なんで売れてない!!!!!!こんなに面白いのに!!!!!!!」と超高い期待を超えて超面白かったのでレビューをその日のうちに書いてしまおう!とキーボードを叩いています。
面白いと思ったものは何でも書き残す主義なのだ、その意地にかけてこの映画をレビュー&考察するぜ!
ちなみに、過去に超面白いと思ったのに全然売れなかった映画「フリー・ガイ」のレビューがこちら!
映画概要
原作はSF小説「ミッキー7」。ハヤカワSF文庫から日本語訳が発売されております。
ざっくりあらすじを。
宇宙へ行くことがそう珍しくもない未来、主人公ミッキーは幼い頃に母親を事故で亡くし、成長してからはマカロン屋を友達と立ち上げるも破産と散々な人生を送っている。
マカロン屋立ち上げのためにお金を借りた相手がやばい人で、返さないと殺されちゃう!そうだ!宇宙へ逃げよう!
ということで移民プロジェクトに申し込むぜ!でも資格も能力もない!じゃあこの「使い捨て(エクスペンダブル)」ってので申し込んでみよう!
そしてミッキーが働くことになったのは、人体をプリンターで何度でも作り出すことで可能になった、命をかけた危険な作業のみを担当する超過酷な職場、まさしくブラック企業だった!
人間の複製という禁断の技術をテーマとして繰り広げられるSF、そこにポンジュノ監督の持ち味である格差との戦い、苦しさ、そして反逆という内容が盛りだくさんです。
監督は「パラサイト 半地下の家族」で世界に名を馳せたポンジュノ。政治的なメッセージを前面に押し出すことなく、テーマとして盛り込みながらエンターテインメントとして完成させる手腕が今作でも健在。
主人公のミッキーを演じるのはロバート・パティンソン。かつてハリーポッターシリーズでセドリック・ディゴリーを演じて大ブレイク、近年もテネットやスパイダーマンで活躍してますね、どっちも観てないけど!
私は「またポンジュノが地獄みたいな環境をテーマに映画撮ってる!!!!」という点だけでもう観ようと決意してました。それぐらいパラサイト面白かったしね!
ざっくり「ミッキー17」の感想※ネタバレ有り
いろいろ言及したいモノは沢山あるんですが、まずは感想をゴリゴリ書いていくよ!
ネタバレ解説&考察だから
エンタメ作品として観てて楽しかった!
パラサイトでもそうだったんですが、現代の格差社会が・・・とか色々考える前に、単純にエンタメとして超絶面白いです。悲哀溢れる序盤のミッキーの死に様、滑稽な振る舞いなのに司令官という立場が故の権力と演説の上手さだけで信者を引きつけるマーシャルと、それを参謀的に支えながらサイコなわがままを通すイルファ夫妻、ポジティブで精神的にも肉体的にも強いエリートなのになぜかミッキーに惚れ込んだナーシャ、ミッキーと共に借金を背負いながら立場に差が付きボチボチ楽しくやってるティモなどなど。
善も悪もありつつ、愛すべきバカもいればドン引きするやばいやつもいて濃密。なんだけど、いわゆる邦ドラマでありがちなキャラゴリ押しで演技する例のアレが全然無いのにキャラが立ってるのはやっぱり映画ってすげーーと思わされた部分だったりします、僕あれが本当に苦手なんですよね・・・
序盤のミッキーが散々な目に遭うところも、合間合間にナーシャとの『セッション』が挟まることでテンポ良く進んでいくし、冒頭のシーンに合流する流れも綺麗だし、ほぼダレることなく集中したまま見切れちゃいました。
見終わったときは「終わっちゃったあ」って思うぐらい走りきったというか。
クリーパーが可愛くて仕方ない
これはある種、異形への慣れとか耐性もあるとは思うんですが、クリーパーちゃんが可愛くて可愛くて仕方なかったです。グッズとして早く出して!!!!!!
日本でインタビューを受けるポンジュノ監督が手に持ってる以上、グッズ展開の予定はあるとオレは信じて生きていくからな!絶対出せよ!!!
こんなん出たら買うしかない。
単なるカタルシスで終わらない反撃の終焉
おそらくこの物語で最もカタルシスを感じるのは、ミッキー18がマーシャルと共に爆発四散するところだと思うんですよ。
なんだけどここって胸がすくような気持ちよさではなくて、再生という後ろ盾を失ってでも戦う覚悟を決めたミッキー18の決意、ミッキー17へ託す気持ち、ミッキー達の中でもハバネロ型の彼だからこそ出来た攻撃なんですきっと。実際死への恐怖から一瞬ボタンをためらってますし。
それでもなおやりきったからこそ、ラスト前の夢を見ているシーンでミッキー17が「ミッキー18ならどうするか」と生き方に大きな影響があったんじゃないかなあなんて考えちゃいます。ここらへんのミッキー同士の差異とかに関しては詳しく後述しますが、だからこそあそこの反撃は単なるカタルシスで終わらず、祭典での人間コピー機爆破が最後の決着、という流れが綺麗だった。
人間を人間扱いしない怖さ、人間扱いし続ける少数派
ミッキーの存在は誰もが不死として扱っています。だから扱いもぞんざい、生成されるときも管理よりゲーム優先で地べたに放り出されたり、まだ生きてるのに溶鉱炉に突っ込まれたりとあまりにも尊厳がない。
そんな中でも人間として扱おうとしていたのがメガネっ娘研究員のドロシー、恋人のナーシャ、良き同僚のカイあたりだったのかなと。
ドロシーもズレてるというか、「10分後に死ぬって言ったけど15分、だいぶ違うでしょ?」とサイコよりな発言はするんですが周囲よりは遙かにマシ。そんな彼女だからこそクリーパー達と会話できるのではないかという可能性を追いかけられたのではないかな?なんて。
イルファ婦人の言うとおり尻尾狩りをするためだけなら翻訳機は要らないわけで、ドロシーはどこかで和平が出来るのではないかという可能性にかけてくれたんじゃないかなとふと思いました、この機械がなければ戦争になっていたはず。ベビークリーパーを救おうと必死に戦ったナーシャと和平を信じたドロシー。クリーパーに対して尊厳を持って触れ合おうと努力した人達はそのままミッキーのことも人間扱いしてるんですよね。
そしてもっと言うと、これは監督がインタビューで実際に発言していたのですが
“クリーパー”は、たった1匹の赤ちゃんを奪い返すため、命を助けるためだけに全員が立ち上がるんです。母親である“ママ・クリーパー”が先導に立ち、運命共同体じゃないですけど人間に立ち向かっていく。
宇宙船内で開拓のリーダーを務める独裁者で、マーク・ラファロ演じるマーシャルと、ママ・クリーパーの対比でもあります。どちらが政治的に優れたリーダーであるか、一目瞭然です。
参照→映画『ミッキー17』監督ポン・ジュノにインタビュー、“名作を生み出せるかも”という期待を胸に
ということ。確かに!!!と思いました。ここもまた対比になってたんですね・・・
つまりマーシャル一派よりクリーパー達の方が優しい世界を作っていたと。
ミッキーは本当に生き返っていたのか?
さて、今回私が一番言及したかったのはここ。
本当にミッキーは生き返っていたのか?そしてそれを知っていたのか?という話。
これから書くのは、監督がどこまで意図していたかは分かりません、ただオレはこう思ったし、物語としても合点がいくんだよね、というものです。
ミッキーの生き返る手法について
まずミッキーの無限生産についてざっくり整理しましょう。
- 肉体を毎回データから再生産している
- 記憶を脳に書き加えている、それも死の直前までの記憶
- だから生まれてきたミッキーは死んだ記憶を持っている
なのでミッキーはまた死んで生き返ったのか・・・と思っているわけです。
ただこれ、よーく考えると違うはずなんですよね。
「死んだ記憶」を持っているだけなのでは?
映画に従って、ミッキー+番号で整理していきましょう。
まず、ミッキー1が死にます。そしてミッキー2が生成されます。
このとき、ミッキー2の中にはミッキー1が死んだときの記憶が書き加えられていますが、実際に体験したわけではありません。もっと言うと、ミッキー1とミッキー2は別の脳が生成されているので、なんなら偽りの記憶を焼き付けられて「あたかも体験したかのように」思わされてるだけなんですよね。
つまり、それぞれのミッキーはただ死んで、二度とその意識が戻ることはありません。次に生産されるのは、「ミッキーから観たらただの別人」なのです。
ただし生産されるミッキーには過去の死んだ記憶が搭載されるので、「死んでもまた生き返るんだな」と思い込みながら死にます。そして帰ってこない。
こんなに残酷な搾取もないですよね、記憶も含めて生まれ変われると思いながら死んで二度と生き返れない。ミッキー17を除いた1~16+18の17人は確実に死を迎えているんですよ・・・
ただし他の人からしたら何も違いはないから生き返ってるのと同義です。主観的な死が存在するのに客観的な死が存在していない。死んでいるのに死んでると思われない。一番尊厳を失っている状態とも言えます。
マルティプル(重複存在)でそれに気付く
このことにミッキーが気付いたのはマルティプルの発生でミッキー17とミッキー18が出会ったからでした。
次に生成されるのはミッキー18であり、ミッキー17は終わってしまう、という考え方。ただしこれはあまり正確な理解ではないと思ってます。その証拠に、お互いが順番に死のう、半分こしようという提案をしているからです。
それでも生きたいという本能を取り戻したのはまぎれもなくマルティプルの発生による死の恐怖を思い出したからだとは思います。この「それぞれのミッキーと死」に対する考え方は監督と違うかもしれない、けどミッキー自身にとってはそうなはずなんですよね。あくまでも新しく生まれてくるミッキーと死んだミッキーは別の意識(魂と言っても良い)の持ち主であり、周りから生き返りに見えているだけだと。
唯一それを観ていたのがナーシャではないのか
で、こういったあまりにも悲惨な事態を唯一見届け続けていたのがナーシャなんじゃないかな、と。
それぞれのミッキーの死に寄り添い、二人のミッキーに囲まれてもそれぞれを愛し、分け合おうとカイに提案されたら怒る。これはミッキーをそれぞれ違うミッキーだと思って見ていたんじゃ無いかな、と思わずには居られない。実際に個体差というか、性格の違いもかなり感じていたみたいですし、それぞれを愛していたんだろうなと。
それが終盤にナーシャのぶち切れターンで「ミッキーはみんな自由に生きていた!」という叫びとなって現れているんじゃないかと。あともう一つ、最後の祭典で行ったスピーチでも「一緒に年を取れて嬉しいです、私だけおばあさんになるところでした」という旨の発言があって。これもジョークとして扱われてるんですが、きっと本心も詰まっていたんだろうなと感じてました。
なにしろ新しいミッキーと出会っても数日、短ければ15分でまた別のミッキーが来てしまう。そんな時期を超えて、同じ時間をちゃんと一緒に過ごせるようになる、その決着があの祭典だと思うと感慨深いものがあります。
その他言及したいところ
他にも色々言及したいところがたくさんあります。
ミッキー18が壊したモノ
ミッキー18は今までのミッキーよりも遙かに過激派らしい、ということが映画の中では分かっていきます。
ただこれもミッキーが持つ一面だと思うわけです。ミッキー同士で矛盾した意見を持ってぶつかるシーンがいくつかありますが、現実でも自分の中に違う考えが浮かんで悩むのは当たり前の話で。
ミッキー18が明確に壊したモノ、それは「罪の意識からの解放」だったのと思っています。自分がボタンを押したせいで母は死んだ。その出来事がミッキーの思考に影響を大きく及ぼしているのは、様々な場面で彼が発する「罰」という言葉に集約されていました。
あんなことをしてしまった自分は過酷な人生を歩むべきだ、幸せになってはいけないんだ、と自分を縛り付ける鎖。それを叩き割ったのがミッキー18だし、過去のミッキーの中にも僅かにそう言った気持ちがあったのだろうと。そして18は最後、マーシャルを巻き込んでの自爆で全てを終わらせ、その後のミッキー17の生き方や考え方をも変える事になったわけです。有り体な言葉ですが、ミッキーの中に彼は生き続ける。
ポンジュノらしい序盤のミッキーの手首シーン
最序盤でミッキーの手首が切断され、それを笑い話にされるシーンがありますよね。あのシーン、私の中ではパラサイトにかなり近い雰囲気を感じました。
物理的なグロテスク表現に加えて誰も心配しない、気にも留めないまま手首だけがスローモーションで宇宙を漂う。
この一連のエグさ、肉体的にも精神的にも最悪という状況。
パラサイトのラストシーン(死にそうな人間への心配よりも大衆への嫌悪感が勝ったシーン)をめちゃ思い出してしまって。
いやーな形でどん底の人間は尊厳が失われているんだ、と表現するエグ味がたまらんシーンですね。
ここら辺の表現を「超ブラック企業」という形で宣伝したのは上手いことやったなあと思います。
パンフレットの出来が最高に良い
だいたい面白かった映画はパンフレットを買う派なんですが、この映画のパンフレットはかなーーーーり良かったです。
ちゃんとした映画ライターが現代とリンクする要素を抜き出しつつ寄稿していたり、衣装やセットの話をゴリゴリ盛り込んでくれていたり。
買ってもらいたいのでほんの少しだけ面白かったところを抜粋すると、
権力者夫婦だけ服装が豪華絢爛で浮いている
↓
ただ格差を見せるだけではなく、現実が見えていないことも象徴される
ミッキー17と18には歯や顔にほんの少しだけ違いを加えているが分かりにくいため違和感程度にしかならない
という話があってなるほどなーーー!となりました。こういった作る側の意図をだいぶオープンにしてくれているので、映画を観たら是非パンフレットも買って欲しい。ポンジュノ監督のインタビューは特に必見だぜ。
まとめ:エンタメとしても最高、だけど考えることもたくさん!
とにかく面白かった。細かいツッコミどころはいろいろあります、けどそれが映画の評価を下げるかと言われるとそんなこともなく。
あとセットの雰囲気も非常に良い。SFしすぎてないというか、今の人類や技術の延長線上に世界があるおかげで冷めることなく観れました。重機や宇宙船もかなり泥臭いデザインで、これも意図して作られてるようなので雰囲気バッチリ!
単純にエンタメムービーとして楽しく観れて、生きることの意味をちょっと考えさせられる。で、ちゃんと考えたらいろんな登場人物がそれぞれどんな意味を持ってどんなことをしていたのかずーーっと考えられるし、それに明確な答えがあるわけでもない。
映画を見た後にずーっと喋れる、そんな映画が私は良い映画だと勝手に思っています。
そう言った意味では、観た直後に8000文字近いレビューがノンストップで書けたこの映画、まぎれもなく傑作です。
みんな観てね!!!!!!