田村ゆかりのハワイイベントはなぜ論議を招いたかを考える

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コンテンツ論
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先日、田村ゆかりさんのファンクラブ「Mellow Pretty」より発表があった。

 

 

なんとハワイでファンクラブイベントがあるというのだ。

 

この件について様々な興味深い意見を見れたとともに、今後のコンテンツ発信者の一つのあり方やファンの選民意識問題等、自分の脳内で広がりを見せたためここにまとめたい。

 

 

ツアー概要(詳細は控えます)

 

内容に関しては、FC会員のみ閲覧可能なため、詳細は表記できないがツイッターで拡散されている情報をごまかしながら掲載すると

 

・40万弱ぐらいかかるが、イベントというよりツアー同行の形らしい
・アコースティックライブ開催
・100人集まらないと開催できない

 

というのが大まかな概要となっている。

 

ポイントとなるのは

①直接触れ合う機会がある
②アコースティックライブは初

という点だと私は捉えている。

 

①田村ゆかりと触れ合う権利

 

こういった機会はここしばらくほぼ無かったのではないだろうか。
ファンクラブイベントでも触れ合うといった要素はほぼ無いため、ファンの中には触れ合えるだけで30万ペイされるという感覚の方もいるようだ。

権利を買う、というところで想起されるのはどうしても48グループの握手券である。

筆者は肯定も否定もせず、需要有れば供給ありだという見解だ。
ただ、48系を批判して田村ゆかりを肯定することはダブスタになるため避けた方が賢明だろう。
誰かがそこに金銭を払う価値を感じれば、そこに取引は成立する。

 

②待望されていたアコースティック

かねてより田村ゆかりファンは、アコースティックライブの開催を望む声が大きかった。
水樹奈々がアコースティックライブを開催した際に、その言動はひときわ多く見られた。

いわばファン待望の新形態の公演として存在していたアコースティックライブ。
それがハワイで開催されるというのは注目しなくてはならない。

行きたいが、金額や期間を考えるとあまりにも高いハードル。
その点が後述する両面の反応を生み出した一因だ。

 

反応は肯定否定どちらもあった

 

この発表後のファンの反応は様々だった。
つるし上げのようなことはしたくないためTwitterの引用は避けるが

・すごい企画だ
・ハワイねえ・・・ハードル高いなあ
・この方針で進むならば田村ゆかりとは距離を置きたい

と多種多様な反応だった。

予想できていたことではあったが、否定的な見解に対し拒絶反応を見せる人や、この障壁を超えることで選民意識をという発言も見られた。
統率されている、と言われている王国民も一枚岩ではないようだ。

 

なぜハワイ?という問いは愚問か否か

 

その中でも多く見られたのは、

なぜハワイ開催なのか

そして対するカウンターとして

なぜハワイかなんて疑問を持つのか?

という展開がなされていた。
この問い、個人的に考えが広がる部分だったため、より掘り下げてみたい。

 

ハワイの選択の主は買い手か売り手か

 

すれ違う両者の発言。
理由はおそらく、優先された立場の違いにある。

今までのライブは田村ゆかりは出演、主宰であり売り手だ。
対してファンは観客であり、買い手となる。

アーティストの多くは、地方客への参加の場として全国ツアーを開催している。
これはいわば、参加のハードルを下げるために会場を選定する形であり、優先されるのは買い手の都合だ。
地方、いわば普段開催されない地域の住民が、行ってみようかなという動機を得ることは、新規ファンの獲得のために必須だ。
また、既存ファンでありながらライブやイベントに参加できない層への救いを差し伸べることで、より強固なファンコミュニティが形成できる。

それに対して今回のハワイでの開催。明らかにハードルは高い。

ファンが言及していたのは、

「これは田村ゆかりがやりたくてやる企画」

だということ。それであれば非常に納得がいく。
内容も今までより明らかに参加者との距離が近い、というのも今までの感謝や参加のハードルの高さを超えたことへの謝意だというのは分かりやすい。

だが、ずっと待ち望んでいたアコースティックライブがこの形で開催されることを残念がるファンも少なくない。
この差が、売り手と買い手の立場の違いだ。

そしてその先に何をを求めるかが個人個人での見解の違いを生み出している。

アーティストとしての田村ゆかりが好きなファンはより参加しやすいステージを求めるだろうし、人間として好きなファンは密接な関係を求めるだろう。

 

ただ今回の企画に関しては、ファンというよりもスポンサーやパトロンに感覚が近いのかもしれない。

コンテンツを売るというよりは、自分のやりたい企画を実現させるためのパートナー。
それはVC(ベンチャーキャピタル)やクラウドファンディングに近い質感の内容だ。
狭く深く、より高額にという展開と捉えられても仕方ないのかもしれない。

 

パトロン、スポンサーとして捉える

 

このパトロン、あるいはスポンサーという形はある種現代的なクリエイターを支える仕組みとなりつつある。

企画ごとにやりたいことを表明し支援を賜る形は様々なところで行われている。
落合陽一が「耳で聴かない音楽会」がクラウドファンディングで企画されているのは有名なところだろうか。

かつ、田村ゆかりは以前にも書いたように、いつでも活動をやめる可能性がある。
その中で、自分のやりたいことを強気に押し出す姿勢は応援されるだろうし、ファンが減っても強固な集団と変貌する見込みのほうが高いだろう。

 

今後の懸念

 

個人的に懸念される点は二つある。

 

①楽曲、ステージのクオリティの変化

競争に晒されればクオリティが高くなるという単純な話ではないが、一神教状態の人間に囲まれたときに可能性として、「ぬるま湯」状態になることが考えられる。

クオリティを正しく評価せず絶賛され続ける状態は、創作にとって健全とは言えない。

セールス、資金源が確保された中でより高くクオリティを追求していくのか、コミュニケーションベースのオンラインサロン化するのかが問われるところだ。

 

②今後のイベントのハードル

 

ここを懸念している人が非常に多かった。

今後開催されるライブやイベントのハードルが上がった際に、自分は参加できないのではという心配。

運営側に客を選別する意思があるかは分からないが、

・参加できる客のマウントトーク
・参加できない客のファン離脱

という可能性は少なくない。
事実、このイベントで厄介な客を排除できると言い切ったファンもいる。
そこに善良ながら資金に余裕のないもの、厄介な富裕層への想像はあるか。

無論活動には資金が不可欠であるため、作品の売り上げよりも固定客の獲得という手段は正当だ。
ましてや余生、ある種の自己満足で活動出来る立場にある田村ゆかりは、自らの提示に需要を生ませるだけの実績も持つ。

やりたい企画を次々に打ち出しても、参加者は減るとしても耐えることはないだろう。
それが盲目的な信頼なのかクオリティの賞賛なのか、という問いも意味をなくす。

それが閉じたコミュニティだ。

閉じたコミュニティになるか、開いた形で発信を続けるのか。

 

その選択が、今後の活動の方向性を決めることになるだろう。

 

 

 

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